ハンガーゼロ アフリカ」とは

田村 治郎

2022年11月11日

2022年8月ポーランド・ウクライナ訪問記 _8回目(最終回)


 翌日ホテルを出発しようとチェックアウトの手続きをしていると、昨夜とは打って変わってマリアさんがさっぱりした顔で「昨日はありがとうございました Дякую за вчора」と挨拶してくださった。子どもたちもぐずることなく、一晩ゆっくり休んで落ち着かれたようです。
 
さて、一路ワルシャワ駅に向かってアウトバーンを疾走。何度かトイレ休憩や昼食を挟んでのドライブです。マリアさんの2人の子どもは、兄ドミニク君2歳、妹サラちゃん1歳。とてもお茶目で可愛い2人。王さんにもよく懐いていて、休憩したパーキングに広がる芝生を、まるで親子のように走り回っている姿は、旅の疲れを癒してくれる1コマです。
 さあ、そこから一走り6時間ほどで到着です。名残惜しいのですが、ここでマリアさん親子とはお別れです。彼女たちはここからさらに列車に乗って親戚を頼って西部の町まで行かれるとのこと。旅路の安全とご主人の守りを祈りお別れしました。

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「ドミニク君、サラちゃん」


 私たちが宿泊したWarsaw Westin Hotelは、国からの支援をいただいて客室の半分をウクライナ難民の方々の避難所として解放し、残りで通常営業しています。このホテルの駐車場にあるウクライナ人教会で「ぜひコンサートをしてくれ!」と、牧師に懇願され、この時すでに森さんも私もコロナの症状が出始めており、発熱と喉の痛みを感じていましたが、「このために来たんだから!」との森さんの情熱にしばし熱も痛みも忘れてコンサート開催です。岡さんはこの時も音響を担当してくれましたが、まだ熱は下がり切っておらず、いくつか記憶が飛んでるようですが、そこはプロ。しっかり仕事はやり切ってくださいました。ミニコンサートとなりましたが皆さん喜んでくださったことは言うまでもありません。コンサートの中で王さんが思わず「ゆりさんがCovit19になりました」と言ってしまいましたが、コンサート後には誰一人躊躇することなく、感謝感謝のハグの嵐でした。

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「ワルシャワ・ウクライナ人教会でのコンサート」


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「ワルシャワ・ウクライナ人教会の皆さんと」


 岡さんの症状も昨日と比べて少し回復したようで、オヤジ特有の「病院は行かない」と駄々をこねていたのですが、森さんの「病院に行きなさい!」との母の一声で、無理から引きずるように保険契約指定の病院へ診察してもらうことに。診察手続きのため病院の受付で保険契約証を見せても、「そんな保険会社は知らない」とあっさり言い放たれて、キャッシュレスとはなりませんでしたが、そこは旅につきもののトラブル、受け入れ乗り切るしかありません。診察してもらうと脱水症状で、3本ほどとっておきの電解質輸液を打ち込んでいただき、2時間ほど休んでホテルに戻りました。ここまでが当初予定していた1週間の弾丸ツアーです。この後の顛末は、1回目~3回目に報告した通りです。

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「岡さん、点滴の図」


 このブログを書いている今は10月の中旬です。帰国して1ヶ月以上が経ちましたがウクライナの戦況は泥沼化の様相を呈しています。ロシア軍に占領された東部のいくつかの地域はウクライナが奪還したものの、ロシア軍による2日間に及ぶミサイル攻撃で、首都キーウをはじめ、ウクライナ全土の主要都市の火力発電所などライフラインとなるインフラが破壊され、多くの死傷者を出し、戦下の人々はいまだ停電の中厳しい冬を迎えようとしています。核使用も徐々に現実味を帯びてきている状況です。どうぞ、ウクライナに平和が戻りますように。被災し避難しておられる方々が1日でも早く普通の日常を送れますように、祈りの輪を広げてください。私たちハンガーゼロも、さらに支援の働きを継続していきます。皆さんの愛の心を届ける手足として私たちを用い続けてください。
ウクライナの平和を祈りつつ。Миру Україні !

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「左から、筆者、森親善大使、岡さん」


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【大阪事務所】

2022年11月10日

初めまして。新人の柳瀬と申します。


IMG-0770 のコピー.jpg 初めまして。 11月からハンガーゼロの働きに加わりました柳瀬ひかると申します。 神様がしてくださった全てのことは書ききれませんが、ハンガーゼロでの働きに召されるまでのことを短くお証します。 

  私はクリスチャンの両親のもとに生まれ、物心つく前から教会に通っていました。しかし、親の信仰をそのまま受け継ぐことへの違和感があり、「洗礼を受けるのは見識を広げた後、大人になってからにしよう」と決めてかかっていました。そんな頑なな私に、神様は小学生キャンプのメッセージでヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」を通して語ってくださり、命を犠牲にするほどの十字架の愛が、まさにわたしのために注がれているんだということを受け取らせてくださいました。 
 
  ところで、私は中高生の頃から、環境問題や貧困などの、国際的な社会問題に漠然とした興味がありました。高校生の進路選択の際、その関心の源は、小学生の頃家でよく読んでいた「世界と地球の困った現実」であることに気づきました。発行がハンガーゼロということで、その本への出会いも、関心が育てられたことも、神様の導きを感じます。 世界と地球のカバー のコピー.jpg

 そして、KGK(キリスト者学生会)のOBが集う合宿のメッセージを通して神様が語られたことが、私をハンガーゼロに召されていることの確信に導きました。合宿で進路のことを考えるつもりは全然なかったのに、メッセージを聞いている中で、私が握っていた疑問への答えが与えられ、ハンガーゼロの働きに押し出されているような、不思議な体験をしました。  2回のメッセージの中心テーマは、「捧げる者に与えられる神様の恵み」というものでした。第一回のメッセージで、「自分を捧げてしまえば、何かを失う」という不安を抱えていることに気づきました。そのように惜しむ自分を、神様は主の山で礼拝を捧げることに招いておられ、神様を信じて惜しまず捧げるときに、私が考えうるよりももっと良いものを神様が備えておられることを受け取りました。そして、人間的な基準では測れない、神様の備えを期待することができるという平安が与えられました。また、第二回目のメッセージでは、初代教会の人々とパウロの関係を通して、献金を捧げる教会や人々と、主にある働き人のために仕えることを教えていただきました。  

 このようにして、また、日々のみことばの養いによって、私はハンガーゼロの働きに加わることの確信へと導かれました。私の能力や意欲だけでなく、私の弱さをも用いてくださる神様が、すべてを導いてここに居らせてくださっているのだと確信しています。  

 これから皆様さんからのご指導をいただきながら精一杯飢餓と貧困に苦しむ方々のために努めてまいります。どうぞよろしくお願いいたします。 
 -柳瀬 ひかる-
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田村 治郎

2022年11月04日

2022年8月ポーランド・ウクライナ訪問記 _7回目


 翌日もコンサートの予定があったのですが、なんと岡さんが夜中に高熱を発症。症状からどうもコロナでは?熱の上がりようからこれはすぐにポーランドに戻って、ワルシャワの病院に行った方が良いと判断して、大変心苦しいのですがこの後のコンサートをキャンセルさせてもらいました。さて、一路ポーランドへと言いたいところでしたが、やはりウクライナ現地でどうしてもやらなければならない支援があって、シングルマザー家庭への食料配給や、その場でポーランドへの避難の段取りなど、王さんの仕事が残っていました。


 もう一つ大事なミッションは、避難所となっているリビィウの教会におられる1組の親子(お母さんマリアさん、2歳の息子と1歳の娘)をポーランドのワルシャワ駅までお連れするというものでした。

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「避難所となっているリビィウの教会」


身の回りの最低限の生活用品を車に積んで出発と行きたかったのですが、その時はもう午後の3時を回っていて朝から食事をしていないということなので、ご主人とともに近くのレストランで遅いランチタイムとなりました。まだ20代後半の夫婦です。ご主人は出国できずウクライナに残って来週あたり兵役につくようです。


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「マリアさんご家族」


 食事の間もいつものように子どもの世話をしながらも、この後の別れを思うとこちらが食欲をなくしてしまいました。食事も終えていよいよ出発です。若い夫婦の別れ、抱擁しキスもし子どもともハグしながら別れを惜しんでいました。奥さんと幼い子どもたちは安全な場所に避難し一安心だけれど、ご主人はこれから戦場に赴く。この別れは、今度いつ会えるかわからない、そればかりかもしかしたら生きて2度と会えない別れになるかもしれない。傍で見守る森さんも、私たちも涙を抑えることができませんでした。目の前の状況は、このウクライナで一体どれだけ日々繰り返される別離なのか。1日でも早い戦争の終結をその場で祈りました。


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「つらい別れ」

 さあ、これからワルシャワまでノンストップでも10時間以上はかかります。まずは国境へ。ウクライナのシェヒニ国境検問所に続く道には10キロ以上も続くトラックの車列。ポーランドからウクライナに様々な物資やオイルなどを運び込んだトラックがポーランドに戻るには、この国境検問所の通過に3~4日かかるようです。私たちは人道支援レーンでウクライナの出国は割と早く済んだのですが、ポーランド入国には厳しいチェックが待っていました。3時間待ってやっと順番が回ってきましたが、パスポートのチェックと同時に、すべての荷物を車から下ろし、中身をチェックです。兵士のすることですからスーツケースの中身を引っ掻き回すように確認します。問題なくOKが出ましたが、もうすでに夜の10時を過ぎていました。ここからワルシャワまでは時間的にも、何よりも岡さんの容態を考えると無理と判断して、先日と同じホテルに投宿。


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「延々と続くトラックの車列」


しかし、ここで一悶着ありました。今日中のワルシャワ行きを断念したことにマリアさんが激怒。「私は絶対すぐにワルシャワ駅まで行きたい!車で行けないならここから電車かバスで行く!」と断固として折れない。ご主人に電話し王さんも話されていましたが、この時間に電車もバスの便もあるはずもなく、とりあえずホテルにチェックインして岡さんをベットに寝かせて、マリアさんを近くの駅とバスターミナルに連れて時刻表を確認しましたが、それでも怒りは治らない。ちょうどバスターミナルで一晩明かそうとしておられたウクライナの避難民のご婦人がおられ、マリアさんに一言。「ここはウクライナと違ってチケットがないとバスには乗れないわよ」とい言ってくださったことで、マリアさんの混乱した心の怒りもす~と治まり、ホテルで1泊することになりました。これだけを読まれるとなんだかマリアさんのわがままのように写りますが、確かに王さんも困惑していましたが、2人で確認したことは、住み慣れた街や家から離れ、二人の幼い子どもを抱いてご主人とも別れなければならなかったマリアさんの心の混乱や不安は、私たちには計り知れないものだ。私も以前インドネシア津波支援の避難所で、支援者の働きに文句ばかり言って感謝することさえなかった人々のことを思い出しました。でもやはり、極限の中にいてそんな私たちの常識が通じるわけはありません。支援することはその人に「仕える」ことなんだと、改めて思わされた出来事でした。

 さてその間も岡さんはどうなっているのやら。後で元気になってから聞いてみると、ウクライナを出国したことやホテルのベットに倒れ込んだことも、なんと元気溌剌な2人の子ども達、車の中で暴れるわ、ジュースを撒き散らすわ、おしっこを漏らすわと、国境ではボーダーラインを走って越えようとするわ、それはそれは壮絶な状況も、何一つ記憶にないそうです。

 次回はマリアさん一行をワルシャワ駅までお連れしたり、「岡さん点滴する編」を報告します。

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田村 治郎

2022年11月01日

世界規模の「切迫した食糧危機」に対するSmall Action


今年も世界食料デーのイベントが、全国で開催されています。
今私たちに静かに迫るのは、世界規模の「切迫した食糧危機」です。
どう対応して行ったらいいんでしょう。
原因のほんの一部の紹介と、わずかながらの提案です。
少し立ち止まって日常を顧みながら、飢餓と貧困に苦しむ方々へ、手を差し伸べ続けてください。

ーハンガーゼロ 田村 治郎 世界食料デーでの講演から抜粋


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「ミツバチの減少」


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「肥料の高騰」


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「食料自給率」


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「Small action 1」


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「Small action 2」


PDFファイルはこちらからご覧ください。

WFD資料①_ミツバチの減少.pdf

WFD資料②_肥料の高騰.pdf

WFD資料③_食料自給率.pdf

WFD資料④_Small actionn 1.pdf


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【大阪事務所】

2022年10月31日

かけがえのない4年間でした。


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 2019年から4年間にわたってハンガーゼロで働くことができて感謝です。
11月を持って活動から離れて中国に帰国します。

詩篇116篇12節
主が私によくしてくださったすべてに対し私は主に何と答えたら良いのでしょう。

 お教えいただいたことやお世話になったことをはじめ、色々思い出されます。皆さんはいつも親切に接してくださり、教えてくださいました。いろいろなことを考える機会となり、学ばされました。また、長野の洪水災害に行かせていただいた時は初めての緊急支援活動を体験しました。とても素晴らしい経験になり、感謝しています。
海外スタッフの希望で入職しましたが、いろいろと計画をしてくださいましたが、結局、海外に行くことができませんでした。しかし、イザヤ書55章9節、「価値よりも高いように私の道はあなた方の道よりも高く私の思いはあなた方の思いよりも高い。」と書かれています。主は私の思いよりはるかな道を備えて下さると信じます。将来を期待しつつ祈りたいと思います。

 大阪事務所で仕事をさせていただいている間で、特に変革について深く考えさせられました。自分の考え方も大きな変革がありました。以前はメディアが流した一方的な情報しか見ませんでした。現在は多くの情報を見て、自分が考えていくようになりました。また、目の前の事から始めていこうということを改めて認識しました。

 大学の時、自分のために生きるのではなく、主のために生きていきたいと決心しました。そして、マルコ16章15節「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」とみ言葉に導かれました。主のためだったら、どこでも働くことができると改めて教えられました。どこか遠い国に行く、またはどれほど偉いことをするだけではなく、小さなことからでも良いということを教えてられました。

 新年のランディ先生(国際飢餓対策連合総裁)の学びの中で、1つのことに心が打たれました。ランディ先生は新支援地で活動をする時はまず現地の教会と繋がるようなお話をされました。お話が終わって、質問の時間があって、ある方が「もしこの地域に教会がない場合は活動をどうやって始めますか?」とランディ先生に質問しました。先生はもしその地域に教会がなかったら、まずスタッフが教会になるみたいことをおっしゃっていました。それはすごく心に響きました。まず自分から始めて行こう。自分ができることを始めていくことを教えられました。ハンガーゼロのスローガンと一緒です。「私から始める、世界が変わる」です。この先の道は分かりませんが、主に委ねます。祈りつつ歩みたいと思います。

 またいろいろ言い切れない感謝なことがありますが、本当にありがとうございました。

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田村 治郎

2022年10月26日

2022年8月ポーランド・ウクライナ訪問記 _6回目


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「8月16日の行程」


 ポリチャ小学校を後にした私たちは西部の都市リビィウに向かいました。1時間ほどでしょうか、リビィウは人口83万人の大都市で、石畳が広がる街並みの美しさに私たちは目を奪われました。そこで王さんから「これから病院にお見舞いにいきましょう」と提案され、お見舞いの花や果物を買い込んで訪問した先は、タチアナさんというご婦人です。彼女は東部の町からここに担ぎ込まれてきました。自宅の庭で娘さんと電話をしているその時、空襲警報も鳴らないままロシアのミサイルが着弾、その爆発で左足を付け根から失ったのです。右足にも大きな火傷がケロイド状に残り、それが突っ張って今も痛いとのこと。決してきれいとは言えないベットのシーツに座って、私たちのお見舞いを大変喜んでくださった。森さんを横に座らせて、私たちの訪問を何度も何度も感謝されていました。同じ病室にはあと2人のおばあさんも入院されておられ、隣のベットのおばあさんは携帯電話で娘さんと何やら話し込んでいますが、泣いて泣いて何かを訴えているようです。向かい側のベットに横たわるおばあさんは、顔だけ私たちの方に向けて何度も訴えるように話しかけてこられましたが、言葉がわからない私たちはただ笑顔を返すしかありませんでした。いつ故郷に帰れるのでしょう。人生の晩年にこの苦しみを味わうなんて、胸の詰まる思いです。
 


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「タチアナさん


 さて、そこを失礼して今日3回目最後のコンサート会場であるイバノフランコフスクの復活教会へと急ぎます。2時間半ほどの道のりですが、すでに約束の時間に遅れ気味です。30分遅刻して会場に到着しました。なんと入り口には50名以上の避難民の方々が私たちの到着を待っていてくださって、私たちと一緒に会場入りです。とは言えすぐに始められるわけでもなく、小1時間ほど公開リハーサルとなりました。また少々音響トラブルの解決の間、舞台の前説のように私がHungerZeroの紹介やここに来させていただいた経緯などを話し、いよいよコンサートの開始です。他の2回のコンサートと同じ曲目に加えて英語と日本語でアメージンググレイスも皆さんと一緒に歌うなど、楽しいひとときでした。


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「イバノフランコフスク・復活教会でのコンサートの様子」


 コンサートが終わると参加された避難者の数名が前に出て感想を話してくださいました。お1人の婦人は「当初私は避難者を助ける側でしたが、戦況が悪化するにつれ私たちの街も攻撃され、今度は自分が避難者になり、不安と恐れに苛まれてしんどい鬱症状を発症してしまった。でも今日ゆりの歌を聞いて希望を持つことができた。Дякую! ありがとう!」と、笑顔と涙が混ざった輝くような顔で話してくれました。後に森さんは「あの婦人の言葉をいただいて、本当に来て良かった」と、あの言葉によって森さんの中にもあった葛藤が吹っ切れたのだそうです。

 コンサート終了後に、会場となった復活教会の牧師スタッフ方が夕食を用意してくださって、しばらくおいしい食事をいただきながら楽しい語らいの時でした。そこで若い牧師が「明日もここに来て歌ってほしい!」とリクエストしてくれましたが、私たちは帰国のために明日ポーランドに戻らなければなりません。そのことを伝えると、「じゃ、今度はいつ来てくれるんだ?」と熱く熱く訴えられるもので、思わず「では来年!」と答えてしまいました。「じゃ、次回はここだけでなくあそこもあそこでも」とすでにコンサートの予約が。なんとも話の流れで「来年!」と出たことでしたが、でも私たちはもう一度来たい思いはありました。次回は最善のかたちで戦争が終結し、戦後の復興の一場面でお役に立つことができればと願っています。


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「復活教会の牧師スタッフの皆さんと」


 コンサートを終えてその夜宿泊するホテルへ。フロントで手続きと部屋の鍵等の説明を受けて部屋に行こうとした私たちに「もう一つ確認事項です。もし空襲警報がなったら、そこの正面玄関を出て右に行くとシェルターがあるので避難してくださいね」とニッコリ。やっぱりここは戦場なんだと身構えました。幸いその夜は何事もなくぐっすり眠れたのですが、この日から2ヶ月後の10月10日と11日、この美しい都市リビィウにロシアからのミサイル攻撃があり、4つの火力発電所が破壊されました。

 次回は、ポーランドに戻る途上での出来事、特に「岡さん発熱する!」を報告します。

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田村 治郎

2022年10月20日

2022年8月ポーランド・ウクライナ訪問記_5回目


 ブチフ小学校から2回目のコンサート会場であるボリチャ小学校までは、約1時間ほど。やはり田舎町の街道を走ります。私たちの目に突然飛び込んできたのは、見渡す限り一面のひまわり畑。地平線の彼方にまで続くひまわり畑です。残念ながら花の季節が終わった直後だったようで、あの黄色く雄大なひまわりの花を見ることはできなかったのですが、それはそれは壮大な景色でした。

 一つ思い出しました。私がちょうど10歳の頃、両親は映画が好きでよく小学生の私を連れて観に行っていたのですが、巨大なスクリーン一面に映し出されるひまわり畑のシーン。それはソフィアローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演の1970年イタリア映画「ひまわり」の一シーンです。でもその記憶は偶然でなく、あの映画のひまわり畑はウクライナ中部の都市ポルタワ近くにあるチェルニチー・ヤールという村で撮影されました。そしてそのひまわりが咲く畑の下には、第2次世界大戦時に戦死した多くのイタリア兵やロシアの捕虜が埋まっており、そして無数のロシアの農民も老人、女、子どもたちもまた埋葬されているそうです。その悲しい歴史の事実の上に、今また悲劇が繰り返されています。

 ロシアがウクライナに侵攻した当初、ウクライナ人の老婦人とロシア兵とのやり取りがBBCニュースで流されました。老婦人は兵士に向かって「あなたたちはここに何しにきたの。侵略者でしょう。この種を持って行きなさいよ。あなたがここで死んだらひまわりが生えるように」と訴える言葉に胸が詰まります。

 やがて小さな町に入るとすぐにボリチャ小学校が見えてきました。ブチフ小学校と比べて、規模の大きな学校で、避難者の数も10倍ほどでしょうか。コンサート会場である食堂に入ると何やらいい匂いがしてきます。キッチンを覗くと20名ほどの婦人が黙々とあるウクライナ郷土料理を作っていました。何やら餃子の親玉のような大きさの「ペリメニ」という主に鶏肉を包んで作る水餃子だそうで、何千個とあったように思います。聞いてみると、戦場で戦う兵士の食料として送られるそうで、1日も早い終戦を願い、前線で戦う兵士が飢えることのないようにと祈りを込めて作っておられました。

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「祖国の味「ペリメニ」を作る婦人」


 ここでも日本語・英語・ウクライナ語と織り交ぜながらのコンサートです。ここにはティーンエイジャーも多数おり、少々照れながらも子どもたちやお年寄りに混じって楽しんでいました。
 
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「ポリチャ小学校でのコンサートの様子」


 コンサートが終わって、東部から避難されてこられたご家族に短くインタビューをさせていただいたのですが、その最後に森さんから「何か日本へのメッセージはありますか?」との問いかけに、異口同音静かに語ってくださったのは「日本が平和でありますように」でした。「平和」という言葉、平和な日本で聞く「平和」と、今現実に平和が破壊されている地で聞く「平和」、同じ言葉でもその重さの違いを受け止めた思いです。

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「インタビューに答えてくださったご家族の皆さん」


 聖書に「平和をつくる者は幸いです」という言葉があります。誰しも「平和」を愛し「平和」を願うでしょう。今私たちの生きるこの世界は混沌としており、取り返しのつかない結果を招く一触即発の案件は枚挙にいとまがありません。だからこそ私たち一人一人がそのところで「平和」を作り出すPeacemakerと生きることの大切さを、一面のひまわり畑を思い出しながらしっかりと受け止めました。

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「コンサート後の記念撮影」


 さて、そこを失礼して私たちは一路西部の都市リビィウへと向かいました。車は幹線道路から離れ、幾つもの村をつなぐ悪路を走ります。その途中、小さなロータリーに何やら多くの村人が手に手にローソクを携えて道端に集まっておられました。お伺いすると、この村から出兵した兵士が戦死し、今その遺体が今日村に帰ってくるのだそうで、皆でそれを迎えるためにここに出てきている、とのことでした。目の前に広がる光景に、やはり「ここは戦場」と改めて身も心も引き締める私たち一行でした。
 
 次回は続けてリビィウでの病院訪問やコンサートの様子を報告します。

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田村 治郎

2022年10月14日

2022年8月ポーランド・ウクライナ訪問記 _4回目



 さて、今回から現地での活動を報告します。
 8月15日の午後ワルシャワに到着した私たち一行は、休む間もなくウクライナとの国境の町プシェミシェルへ。

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「国境の町、プシェミシェルへ」

 

大型のバンに支援食料を大量に積んで、HungerZeroの現地協力者の王(ワン)さんの運転でアウトバーンをひた走ること6時間!「お茶の一杯くらい・・・」と森さんのため息をワルシャワに残し爆走!ちなみに車のエアコンは壊れていて、この時期ポーランドでも日中は30度にもなり、窓を全開に、爆風を顔面に受けてのドライブです。

 今回、現地のアテンドをしてくださった王さんは、台湾人の青年(自称)で、以前台湾で日本企業で働いていたり、ウクライナ大学での留学経験があったりと、日本語・台湾語・ロシア語・ウクライナ語に堪能で、今回は何から何までお世話になりました。また彼は超人的な体力の持ち主で、少ない睡眠でもポーランド~ウクライナ往復のべ50時間以上のドライブを居眠りすることもなく、全くの疲れ知らずでハンドルを捌いてくれました。


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「現地協力者の王さん」


 私たちは彼を尊敬と感謝の思いを込めて「サイボーグ001(ワン)」と呼ばせてもらいました。そんなこんなで夜の10時過ぎにプシェミシェルのホテルに到着。食欲と睡魔、どちらにも打ち勝てず唯一のレストラン・マクドナルドのハンバーガーをお腹に流し込み、爆睡。

 翌朝は6時過ぎにホテルを出発して、いよいよウクライナに入国です。戦争当初はウクライナからの避難民でごった返していたTESCO(元大型スーパー)避難所に寄り道。一時閉鎖していたこの場所が現在はまた小規模に再開していました。
さあ、ここから国境越えです。私たちは支援食料を積んでいましたので、一般レーンでなく「人道支援優先レーン」を通って出国・入国手続きをし、ほぼ1時間でスムーズにウクライナ入国です。


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「国境を越えウクライナへ」


しばらく長閑な田舎道を通り過ぎて1時間ほど、最初のコンサート場所であるブチフ小学校に到着しました。時間は朝8時過ぎ、まだ子どもたちは寝ている時間でした。小さな校舎が1棟あるだけで、コンサートをどこでするかバタバタ準備をしているうちに、一人二人と子どもたちもお目覚めで、結局廊下に椅子を出してそこがステージとなりました。


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「最初のコンサート会場プチフ小学校」

 

 参加くださったのは15名ほどの子どもたちや数名のお母さん、一人のおじいちゃんで、「幸せなら手を叩こう」など日本語の歌にも一緒に手やお尻を叩いたり、元気に足踏みをしたりと、笑顔のコンサートとなりました。またこの後のコンサートで歌うのですが、2曲のウクライナ語の歌(ウクライナ国家・ウクライナ讃美歌)も一緒に口ずさんで、コンサート後も撮影大会やゲーム大会、人懐っこい子犬と戯れながら、しばらくの時間でしたが楽しい時間を過ごしました。
 そうこうしているうちに、次のコンサート会場であるボリチャ小学校に移動しなければいけません。お暇のご挨拶をすると、ここで何から何まで事細かにお世話くださったご婦人が、「食事して行きなさい」と私たちをキッチンへ。その方はロダさん(薔薇という意味)といい、その名のように明るく元気なご婦人です。でもご家族のことをお伺いした時、あんなに元気で明るかった顔が一変。「夫は先月マリウポリの戦場で戦死しました」とポツリと語られた。ここにおられる一人一人は、こんな言い知れぬ痛みや悲しみ、不安を抱えて過ごしておられるんだという現実を、子どもたちの溢れるような笑顔の向こうに見る思いでした。それは、これからの場所で出会う一人一人の人生にも同じで、どんなに長閑な風景の中にあっても、やっぱりここは「戦場」なんだと思いを新たにする経験でした。


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「ロダさん(黒いTシャツのご婦人)」

 

 さて、次回は2つ目のコンサート会場の様子や病院訪問など報告します





           「プチフ小学校でもコンサートのご様子」

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田村 治郎

2022年10月07日

2022年8月ポーランド・ウクライナ訪問記 _3回目


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 PCR検査も3度目となれば、もう慣れたもんで、クリニックへ向かう道も覚えてしまったし、検査料金の支払い、「明日の朝8時に検査結果を聞きにくる」と伝えるのも、クリニックスタッフとも顔馴染みになってそれはもうスムーズなもんです。鼻咽頭ぬぐい液でグリグリしてもらう間も、お喋りをしたり、とは言っても言葉が通じませんので、そこは雰囲気で。和やかに検査が済んで、それで陰性になるわけではないのですが、祈る気持ちの現れですかね。

 さて、翌日、これもいつものように荷物をまとめホテルをチェックアウトし、いざクリニックへ!3回目の結果は、なんと森さんが陰性で、残りのオヤジ2人が陽性でした。満面の笑みを湛えて森さんは機上の人となりましたが、さて、後に残されたオヤジ2人、まずは帰国便のチケット変更の手続きと4泊分のホテル探しから始めないと。もうこれも慣れたもんで、予約サイトからささっと手続きは完了。
 ワルシャワに足止めになっている間も、帰国後即しなければならない仕事がワンサとあるので、互いに部屋に籠もっての作業に励みました。夕食前には、少し早めに外出して、何度も訪れた旧市街を散歩し、仲良くベンチに腰掛けてソフトクリームを味わうなど、一見のどかな時間を過ごしているようでも、実のところ私たちはあるストレスと向き合ってもいました。それは、日本に「帰りたくても帰れない」現実を受け止められない空疎感と、それに対して何も自ら一手を講じられない無力感です。

 HungerZeroスタッフになって21年。アフリカ、南米、アジアの様々な活動地に訪問させていただいて、そこでは幾度となく食中毒も経験しましたし、2008年には中国でSARSに罹患して1週間入院もしました。車が橋から転落しかけたことも2度、兵士に銃口を向けられること3度、その度に全身に纏わり付くようなしんどく不快なストレスを感じてきました。しかし、今回の帰国できない状況に陥ってのストレスは、また異質の重さで私たちの心を圧迫しています。

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 仲良くベンチに腰掛けながら、岡さんとそんな気持ちを話し整理できたことは、このような経験は私たちにとってとても意味ある感謝なことのはずだし、帰りたくても帰れない、自分の意思が全く省みられない状況は、今遠く故郷を離れ、家族とも離別し異国の地で避難を続けておられるウクライナの人々の悲しく辛い気持ちを、100万分の一でも感じ取れることかなあと話していました。もちろん、私たちは陰性証明があれば帰国できますし、あの時点では9月7日以降は無条件で帰国できる立場です。比べるには全くおこがましいのですが、このストレス、この如何ともしがたい気持ちを、これからの支援の働きにあって決して忘れてはならないと、石畳の向こうに沈みゆく夕日に影を伸ばしながら、2人のオヤジはしかと心に受け止めたのでした。
 さて、4度目のPCR検査。結果はめでたく2人とも陰性で、やっとこさの帰国と相成りました。背後にある皆様の励ましとお祈り、特にメロデイ会の皆様の絶え間ない励ましとお祈りに感謝申し上げます。

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 と、これで報告が終わっては何しに彼の地に訪問したのか分かりませんね。次回から現地での活動を紹介いたします。お楽しみに!

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田村 治郎

2022年10月04日

2022年8月ポーランド・ウクライナ訪問記 2回目


 2回目のPCR検査で陽性となった私たちは、近くのカフェのソファーに身を沈め、カフェでなんとか気力を蘇らせ、航空券の変更手配やら新たなホテル予約やら、今後の5日間の生存確保を始めました。田村一人が陰性でも、さすがにゲスト2人を残して帰国できず「介護者」として居残ることにしました。この時点では皆が元気に回復していましたので、ホテルに落ち着いた後、少し街中を歩いて体力を回復しようと旧市街にある旧王宮広場まで足を伸ばしました。

 見事な建物群に目を奪われながら、「あ!このクラクフ郊外通りにある聖十字架教会とこのコペルニクス像は、映画『戦場のピアニスト』の中でナチス・ドイツ軍が進軍するシーンで見たぞ!」と感動しつつ、旧王宮広場に到着してみると、何やら特設ステージもあり、ブルーと黄色のウクライナカラーの洋服に身を包んだ人々が、集まって来るわ来るわ、最終的には数万人が広場は埋め尽くしてしまいました。なんと、この日8月24日はウクライナ独立立記念日で、ここポーランドでも避難されて来られた難民の方々が共に集い祖国への思いに心を一つとされていました。私たちも「その日、そこ」におらせていただいたことは、思いもよらぬプレゼントだったと感じています。

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 セレモニーのオープニングは国歌斉唱。ステージの下では大きなウクライナ国旗を子どもたちが携えています。そこに目を凝らしてみると、なんと森さんも子どもたちの輪に加わって国旗を持ち、号泣していました。いつの間に。地元のカメラクルーも、アジア人が国旗を持って号泣している姿に感動したのか、やたらとレンズを向けていました。きっとその夜のニュースでは「アジア人、号泣する」姿が紹介されていたのでは。

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 その後ステージでは、ロシアの攻撃を受ける首都キーウや他の町々の姿が映し出され、続くゼレンスキー大統領のスピーチでは、全員が身動ぎもせず、涙を流しながら祖国を思い、そのことばの一つ一つに聞き入っていました。

 広場にはいくつもの露店が出ていました。その一つにトイレットペーパーにプーチン大統領の顔写真をプリントしたものが一つ20ズウォティ(約600円)で売っていました。記念に一つ購入しましたが、聞くところでは、射撃の的に同じようにプーチン大統領の写真をプリントして、兵士が撃ち抜く。子ども達までもが射的の的に同じようにプリントしたもの目掛けて射る。それに表された人々のプーチンに対する「憎しみ」を痛感しました。

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 私たちはここでの経験をまだ咀嚼(そしゃく)できないまま、今日ユダヤ人博物館(POLIN Museum of the History of Polish Jews)で見てきた歴史の事実や、ワルシャワの街中に残るゲットー(ユダヤ人強制居住区域)の跡地など、歴史に刻まれた「痛み・悲劇」を思い返し、少々混乱した頭を夕風にクールダウンさせながらホテルへと戻りました。
 
 さて、明日はいよいよ3回目のPCR検査です。結果は?それは次に報告します。

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